夏は夜。月のころはさらなり、闇もなほ、蛍の多く飛びちがひたる。また、ただひとつふたつなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。雨など降るもをかし。

 

清少納言の「枕草子」に書かれている夏のくだり。僕がまだ幼かったころ、父に連れられていったどこかの小川で蛍の群生を見た記憶がある。映画のワンシーンのように、たくさんの蛍が、見に来ている人々の表情を闇の中にほんわかと照らし出す、そんな明かりだった。おそらくは、まだ野生の蛍が住んでいた時代。いまとなっては遠い遠い思い出だと思っていた。

 


 

僕たち夫婦がいまのマンションに引っ越してからというもの、近所づきあいはほとんどなくなり、土地柄を知ることもなく、もう2年ほどになる。いつもの静けさとはかけ離れるほど人混みにあふれかえるお祭があることや、桜が咲きほこる川辺の千本桜があることは、何かを調べたわけではなく、この街に住んで自然と知ったことである。

 

そんな僕たちが、地元の人から土地について教えてもらう機会があった。季節は夏に向かいかけの6月のとある土曜日、例の祭を催している神社にお参りに行ったときのことだった。

 

「あそこの蛍は、今年で最後かもしれんな」

 

神社につづく参道で、ふたりの老夫婦がそんな会話をしていた。高齢になる夫婦がいっしょにお参りをしている姿は素敵だなと思いながらも、近くに蛍がいることに、僕は郷愁的な気持ちを呼び戻されていた。「すみません、どちらに蛍がいるんですか?」

 

どこどこの神社の境内にある池に蛍がいることを、おじいさんは教えてくれた。蛍は年々数が減ってきていること、近くにできたオレンジ色の街灯の光で池が照らし出されて蛍が見えにくくなっていること、そんなことをおじいさんから聞かせてもらった。忘れないように、僕は神社の名前のメモをとった。もちろん、決行は今夜だ。

 


 

蒼い三日月が夜空にのぼっていた。神社についた僕たちは入口に立てられた境内マップを指でなぞる。敷地はまあまあ広くて、おじいさんから聞いた池は本殿からいちばん遠い、境内の端にあった。あたりは暗くなっていたから、僕たちは境内の中には入らず、外側からその池に向かった。5分くらい歩くと、池の見える場所についた。池にかけられた橋があり、向こう岸には小さな祠があった。その後ろに、浄水場の小さな施設があり、おじいさんが話していた街灯があった。「ああ、この池だ」と思った。

 

街灯が、思った以上に池をオレンジ色に染め上げている。池のまわりには草木が生い茂っていて、その隙間から池を見なければいけない。草木の重なり具合によっては、その隙間からこぼれ出るオレンジ色の光が、なんとなく蛍に見えてしまう。でも、この光は蛍ではない。蛍の光はまごうことなきもので、こんなぼんやりとした色ではない。記憶の中の蛍も、家を出る前にネットで見た蛍も、緑がかった黄色の光をたたえていた。

 

境内の外側からは池が見える視野が限定的で、僕たちは蛍を探すことができなかった。そもそも蛍がいることさえ、確信できる何かがあるわけでもないのだ。僕たちは池に向かって「おーい、蛍さん」と小さく語りかけてみたが、その声が池まで届くことはなく、草木にかき消されてしまった。

 

「やっぱり、中に入ろうか」

 

妻にそう話しかけると、寂しそうな表情をしていた彼女の視線が少し動いた。「こんなに暗くなっているのに、中に入れるかな?」不安げな彼女。「閉まっていたら、そのときはあきらめて帰ろう」

 

来た道を戻り、僕たちは再び境内の入口にたどりついた。本殿があるところにはもともと入れたが、広い境内につづく門が開いているかはわからない。僕たちが少し歩を進めると門があり、それは幸いにも開いていた。境内は山にいるようなつくりになっていて、暗い坂道が続いていた。スマホの明かりで道を照らしながら、僕たちは坂道をおりていった。薄暗い道よりも、いまにも神主さんが目の前に現れて、「こら!」と怒鳴られそうなことが怖かった。

 

坂道をおりると、人工的につくられた小さな滝があり、さらさらと音を立てていた。そういえば、おじいさんは「滝からつづく小川の先にある池」といっていたから、たぶん池までもうすぐだ。小川に落ちないように気をつけながら、小川にそって歩くと、ほどなく例の池があった。さっきまで外側から見ていた池であることは、となりにあるオレンジ色の街灯からも判断がつく。僕たちは視界を邪魔されていた草木を横目に、池の片岸にたどりついた。しかし、蛍の光はなにひとつ見えなかった。

 

パンパン、と音がした。となりにいた妻が両手を叩いている。蛍は音に反応して光ることがあるらしい。僕も真似をして、パンパンと音を出してみたが、光は見えない。飽きもせず「おーい、蛍さん」と語りかける。今度は池まで声は届いたかもしれないが、結果は変わらなかった。

 

池のまわりを進み、橋がかけられたところに来た。石でできた細い橋を池に落ちないように慎重に進み、向こう岸に渡る。忘れられたかのような小さな祠が、僕たちを静かに迎えてくれた。なんの情緒もないお願いをストレートすぎる表現で。パンパン。

 

「蛍に会わせてください」

 

僕たちは振り返る。目の前に、緑がかった黄色い光がひとつ、もとからそこにいたように光っていた。池の端でひっそりと光ったわけでもなく、草木の隙間から恥ずかしそうに出てきたわけでもなく、本当に目の前に光がたたえられていた。思い出の中にある、おびただしい光にあふれた光景ではなかったけれど、たったひとつの点滅が、とても神聖的だった。妻の顔を照らすような明るさではなかったけれど、彼女が息を飲んだ気配が感じられた。「うそでしょう?」うそではない。光の色は本物だし、動いている。蛍は僕たちの目の前を、僕たちを祝福してくれているかのように、ゆらりゆらりとまわっていた。何かを心の中に語りかけてくれているようでもあるが、残念ながらその声は聞こえなかった。聞こえなくてもいい、いまここにいてくれるだけで、僕の心、そしてきっと彼女の心を、淡い温もりで満たしてくれていた。

 

とても長い時間に感じられたが、おそらく1分間ほど僕らの前にいた蛍は、すーっと横に移動して、池のまわりに生い茂っている草木でその光を消した。蛍の光が見えていたときには感じられなかったが、あたりは再び街灯のオレンジ色に染められた。

 

僕たちは橋を渡り、来た道を戻る。蛍に会えた喜びを、ふたりで静かに語り合いながら、ゆっくりと歩いた。ふと、呼びかけられたような気がして池を振り返ると、蛍が僕たちについて来ていて、また目の前で光を灯していた。なんということだろう。

 

「水から離れてはダメだよ」

 

震える心とは裏腹に、こんなセリフが自然にこぼれ出していた。会えただけで僕たちに感動を与えてくれたのに、優しすぎる彼は、僕たちを見送ってくれるというのだろうか。そんな権利は僕たちにはないのに。

 

成虫になった蛍には消化器官がないらしい。彼らは孵化したあと、エサも食べずに約2週間、生殖のためだけに生きる。動くことも、発光することも、彼らから少しずつ生を奪っていくのだ。蛍はわずかな生の時間を、死にものぐるいで生き急いでいるのだ。彼の生を僕たちのために使わせてしまったのは、僕たちの罪かもしれない。蛍を見たいという軽々しい気持ちでこの神社に来てしまったのかもしれない。でも、僕はおじいさんがいっていた言葉を思い出していた。

 

「あそこの蛍は、今年で最後かもしれんな」

 

もしかすると、今年この池で生まれた蛍は彼ひとりだけだったのではないだろうか。ひとりぼっちの世界に割って入ってきたのが僕たちだとしたら、彼は、孤独を破った僕たちのために命の炎を燃やしてくれたのではないだろうか。こんな妄想は、独りよがりで身勝手な、ただの罪滅ぼしでしかないけれど。

 

僕たちは、感謝の気持ちをこめて、この蛍に約束することにした。

 

「蛍はもう見に行かないよ」

 

って。僕たちに最後の光を見せてくれた蛍を、僕たちにとっての最後の蛍にする約束をした。

 

蛍はもういちどゆらりゆらりと瞬き、そして池に帰って光を消した。僕たちはしばらくそこを見ていたけれど、彼が再び光を灯すことはなかった。寝てしまったのか、最後の光だったのか、僕たちには知るよしがない。

 


 

後日談になるが、妻がスマホで撮影していた蛍の動画を見た。僕たちが見たままの姿で、たったひとつの光がゆらりと動いている。変化が起きたのは、動画の中盤あたり。光が三つに増えたのだ。これはもちろん、実際には見えなかったものだ。

 

ところで、僕は学生時代から三匹の犬を飼っていた。若い方から亡くなっていき、昨年の夏に長男が亡くなり、みんないなくなってしまった。もしかすると・・・。

 

ただの反射なのかもしれないし、おそらくはそうなのだろう。でも、僕の妄想が終わることはなかった。